判断の共有

パクリかどうかという判断は、日常においては(裁判ではなくてね)結局は個々人の主観的な判断の問題である。しかし、社会においてパクリであるという判断をした人が多いほど、そして、そして、パクリであると判断した人の数が多いということが確認できるほど、パクリを行ったとされる作り手の創作能力や、クリエーターとしての職業倫理は低いものと判断され、クリエーターとしての仕事はできなくなっていく。ゆえに、上記の2つの点、パクリだと判断する人の数と、それを確認できる環境は重要なポイントである。

インターネット普及前
ある個人がパクリであると感じたとしても、それを確認できる範囲は直接コミュニケーションをとりうる範囲に限定されるため、社会全体でどれだけ多くの人がパクリと感じたのかを確認することは難しい。

インターネット普及後
ある個人の感覚は、すぐに不特定多数の判断を仰ぐことが可能な状況にあり、その反応についてもネットに接続する全ての人たちが共有することができる。